合同会社迎客デザイン研究所代表の酒井謙光と申します。
のっけからですが、私はお金を稼ぐためにモノを販売することに抵抗があります。
言い換えると、自分の都合を押し付けて契約を取るとか購入を迫ることが嫌なのです。
それがわが社の理念にある「四方よし」につながったと感じています。
人の役に立ったという実感が伴わないと、仕事をしていると思えないのです。
ビジネス、商売、事業など呼び方はいろいろありますが、資本主義の世の中では商品・サービスを提供してその対価としてお金をいただく。
この経済活動を行う以外生きていけません。
そして対価としてのお金が利益の源泉です。
ここで意識しておきたいことがあります。
それは「モノを売るという発想を捨てること」です。
商品やサービスは、あなたが売ったのではなく、お客様が買われたのです。
最終判断はお客様の側にあります。
私は、売るという言葉自体がとても独善的でおこがましいと感じるのです。
この考えが、自分の都合で契約を迫るといった行為に反感を持つ理由だと思います。
「売り上げを上げるという行為は存在しない」
あるのは、売り上げに貢献していただけたお客様との関係です。
自主的に売り上げをあげられるのなら、売り上げアップのノウハウなど必要ないはずです。
自分だけが頑張ればいいわけですから。
でも売り上げはお客様の購買があって初めて発生するものです。
例えば自分がダイエットをするとか、ジョギングをするのと同じ感覚で、売り上げを上げるという感覚ではダメなのです。
常日頃からこんなことを考えているのですが、私の専門分野はWEBマーケティングです。
WEBマーケティングとは何かについてはブログに記事を上げていますのでそちらを参照してください。
要約するとWEBマーケティングとは、集客から始まり販売・契約、そしてお得意様となっていただくまでの一連の流れを仕組みとして作ることです。
WEBを最大限に活用することも含まれています。
そして集客から販売、お得意様になっていただく行為こそ事業そのものです。
マーケティングとは事業そのものを指すと考えなければ解決できない問題が多いのです。
そのため、私は事業運営に関する一通りの知識を学び、実務に活かしてきました。
<取得資格>
上級ウェブ解析士(一般社団法人ウェブ解析士協会)
BMIA認定ジュニアコンサルタント(一般社団法人ビジネスモデルイノベーション協会)
NLPプラクティショナー(米国NLP協会)
初級システムアドミニストレーター(情報処理国家試験)
<学んだスキル>
アルマクリエイションズ
フォトリーディングマスター講座
全脳思考マスターEX講座(現フィーチャーマッピング講座)
ダイレクト出版
セールスコピーライティング
一般社団法人ビジネスモデルイノベーション協会
ビジネスモデル・キャンパス
<師事した先生>
神田昌典氏
コピーライティング、ダイレクトレスポンスマーケティング
佐藤義典氏
戦略basics・マーケティング
石原明氏
コンサルティング・ビジネスモデル
また、WEBマーケティングの専門家というと、一般的にはコンサルタントとかアドバイザーと思われがちです。
ただ私は、実務をしていることが自分の強みだと思っています。
例えば、広告出稿の際、そのコンセプトを考えることもあります。
広告のキャッチコピーも作ります。
販売ページのセールスコピーを書くこともあります。
コラム系のメルマガを代筆もしています。
PRのシナリオも考えますし、Youtuberさんの動画の企画・台本作成もしています。
飲食店の販促・費用対効果最適化のプランも考え実施したりもしています。
SEOブログ構築のコンサルティングもしています。
新しいサービスのプロモーションプランを考え、事業者さんと共に事業を行うこともあります。
このように、単に理論や方法論を語れるだけではないので、集客が上手くいかないときに「どこに問題があるのか?」「その問題を解決するにはどうすればいいのか?」を考え出せることに成功の秘訣があるとも思います。
今は社長をしていますが、昔はいわゆる落ちこぼれでした。
どうにか高校は卒業したものの、大学への進学ができるような成績ではなかったため、
大学生になった友達とも段々と疎遠になり、気が付けば完全な引きこもりとなっていました。
お金も無く、本音を話せる友人も周りには皆無。
まして彼女なんているはずもなく、孤独を味わいながらも、何をやっていきたいのかを自問自答する日が続きました。
高校2年の進路指導の時、担任の先生から言われたあの一言が重くのしかかります。
「酒井くんは、将来何がやりたいの?」
将来?
15歳の少年によくもそんな大それた質問を投げかけるものだと、苦虫を奥歯でかみしめた時のような、嫌な感触と鼻から抜ける不快な匂いの感覚が、自分の錯覚だったと気が付くのは随分と後になってからでした。
「将来の夢」
これを聞かれることがこの頃の最も不快になる質問でした。
高校卒業後に体験した約2年間の引きこもり人生は、後に大きな意味を持つことに気づきもせず、自堕落で精神をすり減らすだけの毎日に心底嫌気がさしていた頃、高校時代の友人と再会する機会がありました。
「百貨店でのアルバイトなら紹介するけど。」
今まで人前はおろか、親ともろくに話をしていなかった私は、無謀にも彼の誘いに応じ、接客販売の仕事に就くことにしました。
生まれて初めて百貨店の売り場に立った時の足の震えは、今でも思い出せるくらい、それは大変な緊張を体感覚として思い起こさせてくれる貴重な経験でした。
その後は徐々に社会的な生活が出来る程度の人間へと成長していくさなか、大きなターニングポイントになったある求人広告に出合います。
それは新しく開校するパソコンスクールの講師募集でした。
その会社は経理の学校を全国で展開している会社で、その後ワープロ教室で業績をアップさせたため、OA(古いですね)花盛りの時代に乗り遅れまいとパソコン教室を展開しようとしていたところでした。
私は普通科の高校でしたので、もちろんパソコンには触れたこともありませんでした。
しかも当時のパソコンというのは、今のようにWindowsやMacといったマウスで操作するようなフレンドリーなものではなく、プログラムを作ってそれを動かすことが求められた時代です。
今で言うところのITエンジニアの予備校のようなものでした。
しかし子供の頃から、ウルトラマンやマジンガーZなどの空想科学ものや、メカニカル的なものに強く興味を抱いていたこともあり、一大決心でその求人に応募し見事採用されました。
新人研修を休み返上でこなしながら、ほとんどの生徒さんが年上という状況の中で
「先生」と呼ばれることにとても大きな抵抗を感じながら日々の業務を死に物狂いでこなしていました。
しかし人間とは不思議なもので、いつしかその呼び方が快感となっていったのですから
環境に適応できる自分のタフさにも感心していた時代でした。
そして授業を担当して1年ほどたったある時、講座を終了されたご婦人から意外な言葉を告げられます。
「酒井先生の次の講座は何月から始まりますか?
ぜひ私の部下を4名お預かりいただきたいと思います。」
その方は某大手銀行の課長さんで、私の授業をとても高く評価いただき、是非とも自分の部下を私が担当すること授業に、社内研修として参加させたいというお申し出でした。
驚くとともにとてもうれしい出来事でした。
これがきっかけで会社内でも結構有名人になりました。
そして無事にその方の部下の方の事業を終え、順調進むと思われたインストラクター人生でしたが、残念なことにその後に会社の体制が私の願いとは裏腹に、大きく異なった方向へと進んだため離職を余儀なくされます。
またやりたいこと探しが始まりました。
次に見つけたのは、就職前に体験していた接客販売の仕事でした。
今はイオングループに吸収合併されてしまったマイカルグループのビブレという業態で、新しくオープンする店舗のスタッフが募集されていたのです。
当時の募集は2種類の雇用形態がありました。
正社員と契約社員。
つまり正規雇用と非正規雇用です。
後で知ったのですが、私が見ていた求人は正規雇用のことしか書かれていなかったため、正社員で応募しましたが、何と倍率が数十倍はあったそうです。
もし事前に知っていれば間違いなく契約社員での応募に切り替えていたと思います。
しかしその高倍率の関門を何とか突破し、紳士衣料の販売・仕入の仕事に就きました。
まだ20代半ばだったこともあり、お店の中が学校の延長上のような雰囲気で、とても毎日が充実していました。
ここで商売の基本を学びました。
自分で買い付けてきた商品を自分で店頭に並べて自分で販売する。
苦しくも楽しい日々でしたが、お店自体の集客が思わしくなく、なかなか売り上げが上がらない毎日が災いしたのか、体調を大きく崩して休職を余儀なくされてしまいました。
その後、復帰を果たしたものの厳しい労働環境に根を上げて退職をします。
またまた自分探しの始まりです。
そもそも求人ありきで職を選んでいるため、何がやりたいのかということに答えが出ないままで生きてきた人生を少し振り返り、
ようやく見つけたのがデザインの仕事でした。
当時私が考えていたデザインとはグラフィックデザインのことで、雑誌やポスター、チラシなどのデザインを行うデザイナーにとても憧れを抱いていたことをはっきりと認識し、求職活動を開始します。
しかし専門の知識も経験もない私はデザイナーでは仕事ができるはずがないことを知り、とても落ち込んでいたのですが、その後デザイナーではないものの、デザインに近い仕事が出来る職種があることを知りました。
それがDTPオペレーターでした。
DTPとはAppleがMacintoshを使って行える印刷の前工程を電子化した業務の呼び名で、
今でこそ当たり前のパソコンでデザインしたデータを紙に印刷できるように行う職種です。
デザインと言ってもそんなに大層な話ではなく、社内報は業界紙などの予算が限られている印刷物のデータ作成を、私がデザイナーさんの代わり行なうといった、にわかデザイナーです。
それでも出来るだけデザインの基礎を独学で学びながらの実務をこなしていきました。
その後、製版オペレーターと呼ばれている職種と合わせて17年の間、デザインや印刷関連の仕事を行っていました。
その頃の私は、採用された会社の中では、数年以内には必ずある部署の責任者の立場として部下や同僚を指導する役割を担うようになっていました。
若いころのインストラクター経験のおかげか、どの職場でも「酒井さんの教え方は凄く上手くてわかりやすい」と言ってもらえるようになっていました。
この頃から遡ること数年前からコミュニケーションの取り方について、興味を持ち始め書籍を頼りに学びを続けていたことが幸いしたのかもしれません。
ただ、私は常に「自分のやりたいことは何だろう?」と考える癖がついてしまっていたため、
ある程度経験を重ねてしまって、自分の実力を100%発揮せずとも成果が出てしまう職種に、常に物足りなさを感じていました。
そこで起業しようと考え始めます。
ただ、すでに結婚していたこともあり、まずは副業で収入を得られるようになってからと思い、インターネットを使って行う副業に取り組み始めます。
それはアフィリエイトと呼ばれているもので、ある会社の商品をネットで私が告知し、
そこで売れれば手数料をもらえるという仕組みです。
始めはまったくもって成果が出ずに苦しい思いもしましたが、徐々にコツをつかみ始めると、成果となって表れるようになります。
副業の成果はとても分かりやすい収入アップという形で現れます。
すこし贅沢をしながらもネットでモノを販売することを突き詰めていった結果、ネットマーケティングの総合的な知識やスキルを身に付けることができました。
そして一度目の起業を行います。
しかしあまりに稚拙で思い付きレベルの業務内容だったため、事業自体が稼働する前に廃業することになってしまいました。
幸い会社を退職する前にだったため、大きな問題にはなりませんでしたが、こんなことではいけないと起業について学び始めました。
それと並行して行っていたネットマーケティングの副業も、帰宅後に行う深夜の作業がつらく徐々に成果が下がり始めます。
このまま会社員とネットマーケティングの両立は難しいと考え、今度は会社を辞めて独立してネットでモノを売る仕事をやろうと決心します。
次は失敗しないようにと準備を行ったこともあり、起業当初は業績が一気のあがり、会社を退職しても全く収入の不安におびえることのない生活を手に入れました。
がまたも私の不注意やタイミングの悪い出来事が重なり、2度目の起業も廃業寸前まで追い込まれます。
無収入の恐ろしさをそれこそ身をもって体験しながらのつらい日々が戻ってきました。
結局、若いころの引きこもり時代から少しも進歩していないのではないか・・・
そんな自分を責める日々でしたが、ネットマーケティングのスキルと経験・実績があることが幸いしました。
知り合いの社長から、自社の商品のマーケティングを手伝ってほしいと連絡があり、いよいよネットマーケッターとして活動を再開することになります。
しかし、そのネットマーケッターとは別に、私には本当にやりたいことが見つかる出来ごとがありました。
そもそもなぜ私が、すでに50歳を超えるような年齢にもかかわらず、社長さんから力を貸してほしいと頼まれるようになったのでしょうか?
それは自分の力を有効に発揮するための戦略を立てていたからです。
戦略を立てる重要性を私に教えてくれたのは、ストラテジー&タクティクス株式会社の社長で戦略立案・経営コンサルタントの佐藤義典さんです。
著作「新人OL、社長になって会社を立て直す」(青春出版社刊)の中で語られている戦略立案の必要性とその効果を、まるでノンフィクションのように感じる素晴らしい内容に感化され、戦略について本気で学びだしました。
そして自分が起業した時には、必ずや立派な戦略を立てて大きな成果を出してやると、学んでいたにもかかわらず、いざ自分が起業するとなると思っていた通りには物事が進まないことを実感しました。
その時です。
天啓というのはおこがましいのですが、自分にはこれだ!という実感がありました。
戦略を全く立てずに行き詰った経験や、立てていたはずの戦略が通用しなかった経験を踏まえて、私のように挫折してしまいそうな方をサポートすることが使命なのではないか。
もしかしたらこれが自分がやりたかったことなのかもしれない。
そう思うようになりました。
私は「話が上手で、教えるのも上手い」とよく言われます。
その特技とネットマーケティングの経験とスキルを活かして、事業者さんの業績アップのための集客支援をしています。
それが迎客デザイン研究所を解説した理由です。
先にお名前をあげた佐藤義典さんからは「コンサルタントになるために生まれてきたような人ですね」とお褒めの言葉をいただいたことも、業績アップ・集客支援を続けていける理由の1つです。
ようやく私は自分がやりたかったことを、こうして多くの方のお役に立つことで実現できる日が来たことをとてもうれしく思います。